終戦から、わずか5カ月経た佐渡で実際に起きた出来事を映画化。
5か月前までは敵国だったイギリスの軍用機「ダコタ」が佐渡島の小さな村に不時着するところから映画は始まります。
島には戦争で負傷したり、家族を失ったりした人が数多くいる中で、戦争という忘れがたい悲しみと憎しみを乗り越えて、
国境を越えて人間同士の真心を通わし、友情と絆を育み、皆で力を合わせて「ダコタ」を再び大空へ飛び立たせます。
この映画の中で交わされる様々な言葉に心を打たれます。
娘を戦争で亡くした消防団長の高橋は、「頭では分かっているが心が受け入れない」と協力を拒絶します。
でも、直ぐに困っている人達を捨てておけず彼自身が先頭に立って協力することになります。
ビルマ方面軍の司令官の専用機であった「ダコタ」の若いイギリス人乗組員に、
息子をビルマ戦線で亡くした敏江は、「あなたは、生きて母のもとに帰りなさい」と涙ながらに語ります。
島を飛び立つ「ダコタ」を見送りながら、
「こんなにイギリス人はいい人なのに、自分たちは騙されて戦争に巻き込まれた」と
「我々と天皇陛下を騙した軍人が悪い」と村の女性たちは戦争論議を始めます。
それを聞いた村長は
「国民皆が戦争を始めたんだ」と諭すように繰り返しますが、村人にはその意味が今一つ理解できない様子。
「ダコタ」の修理と滑走路建設に村人全員が協力する中で、
親友を戦争で失い、自分自身も足を負傷して歩くことすらままならない身体となった健一だけは、
憎しみに心を奪われて「ダコタ」に火をつけようとします。
そこに駆けつけた幼馴染の千代子から
「殺し合う世の中の方がいいのか」と
「足を負傷してでも帰ってこれたことが幸いだと感謝するような、そんな世の中の方がいいのか」と
泣きながら問われて、健一は言葉を返すことができません。
村人の無心の協力に感激した「ダコタ」の機長は全員の前で涙ながらに感謝のスピーチをするが、
消防団長の高橋は「困っている人を助けるのが佐渡の者(もん)だ」とためらいもなく言い放ちます。
怒りや憎しみを乗り越えて、困っている人を助ける佐渡の人達がいたことを同じ日本人として誇りに思います。
8月23日に東京の増上寺にて、ガザとイスラエルの犠牲者を追悼するシューズアクションが行われました。
参加者が持ち寄った靴が祭壇に並べられ、戦争で亡くなった子どもさんの名前が読み上げられました。
名前の中に自分の孫や子供が含まれていたらと思うと、心が張り裂けそうになります。
どこの国の兵士であろうと、その母親が息子の無事を願う心に変わりはないと思います。
戦争は、鏡に映る自分に向かって銃を向けるのに等しいのではないでしょうか。
ごきげんよう、さようなら。
5か月前までは敵国だったイギリスの軍用機「ダコタ」が佐渡島の小さな村に不時着するところから映画は始まります。
島には戦争で負傷したり、家族を失ったりした人が数多くいる中で、戦争という忘れがたい悲しみと憎しみを乗り越えて、
国境を越えて人間同士の真心を通わし、友情と絆を育み、皆で力を合わせて「ダコタ」を再び大空へ飛び立たせます。
この映画の中で交わされる様々な言葉に心を打たれます。
娘を戦争で亡くした消防団長の高橋は、「頭では分かっているが心が受け入れない」と協力を拒絶します。
でも、直ぐに困っている人達を捨てておけず彼自身が先頭に立って協力することになります。
ビルマ方面軍の司令官の専用機であった「ダコタ」の若いイギリス人乗組員に、
息子をビルマ戦線で亡くした敏江は、「あなたは、生きて母のもとに帰りなさい」と涙ながらに語ります。
島を飛び立つ「ダコタ」を見送りながら、
「こんなにイギリス人はいい人なのに、自分たちは騙されて戦争に巻き込まれた」と
「我々と天皇陛下を騙した軍人が悪い」と村の女性たちは戦争論議を始めます。
それを聞いた村長は
「国民皆が戦争を始めたんだ」と諭すように繰り返しますが、村人にはその意味が今一つ理解できない様子。
「ダコタ」の修理と滑走路建設に村人全員が協力する中で、
親友を戦争で失い、自分自身も足を負傷して歩くことすらままならない身体となった健一だけは、
憎しみに心を奪われて「ダコタ」に火をつけようとします。
そこに駆けつけた幼馴染の千代子から
「殺し合う世の中の方がいいのか」と
「足を負傷してでも帰ってこれたことが幸いだと感謝するような、そんな世の中の方がいいのか」と
泣きながら問われて、健一は言葉を返すことができません。
村人の無心の協力に感激した「ダコタ」の機長は全員の前で涙ながらに感謝のスピーチをするが、
消防団長の高橋は「困っている人を助けるのが佐渡の者(もん)だ」とためらいもなく言い放ちます。
怒りや憎しみを乗り越えて、困っている人を助ける佐渡の人達がいたことを同じ日本人として誇りに思います。
8月23日に東京の増上寺にて、ガザとイスラエルの犠牲者を追悼するシューズアクションが行われました。
参加者が持ち寄った靴が祭壇に並べられ、戦争で亡くなった子どもさんの名前が読み上げられました。
名前の中に自分の孫や子供が含まれていたらと思うと、心が張り裂けそうになります。
どこの国の兵士であろうと、その母親が息子の無事を願う心に変わりはないと思います。
戦争は、鏡に映る自分に向かって銃を向けるのに等しいのではないでしょうか。
ごきげんよう、さようなら。
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