1985年8月12日に羽田発伊丹行ボーイング747が、群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落しました。
同機には当時私の仕事仲間の父母と子供(長男と長女)が搭乗していて被害に遭いました。
その日の記憶は今でも鮮明に残っています。
昼に郊外の吉野家で家族みんなで牛丼を食べました。
食べ終わって駐車場で見上げた空が抜けるように青かったことと、
照りつける夏の日差しの暑さでこめかみから滴り落ちる汗を今でもハッキリと感じられます。
それから、私たち家族は山梨県のツレの田舎に車で帰省しました。
その日の夜は田舎の親戚一同が集まり宴会となり、宴会の最中に事故の連絡を受けました。
連絡を受けた瞬間にかなり気が動転して、車で大阪にとんぼ返りしようとした私を皆が止めてくれたことを憶えています。
彼とは仕事だけでなく、家族ぐるみで遊びに行ったりしていたので、
事故に遭った彼の子供たちやご両親とは顔なじみでした。
私は結局電車で大阪に戻り、数日後に現地にいる彼のところに出向くことになりました。
彼と協力して遺体を探すためです。現地には約3週間滞在しました。現地でのことは今でも書く気になれません。
彼に聞いたところ、
彼と彼の家族(彼の奥さんと3人の子供、父母、奥さんの妹)の計8人は東京ディズニーランドに遊びにいったとのこと。
彼は友人とのゴルフの約束があったので帰ることになったのですが、
彼の父母(おじいちゃんとおばあちゃん)が折角来たのだから、もう一日孫たちを楽しませてあげたいとのことで、
おじいちゃんとおばあちゃんと彼の上の二人の子供だけが帰るのを一日遅らせることになりました。
彼の奥さんは乳飲み子(一番下の子)を抱えていたので、彼と一緒に帰ることになり、
奥さんの妹さんを含め4人は一日先に大阪に帰り、難を逃れました。
孫たちに少しでも楽しませたいというおじいちゃんとおばあちゃんの心を思うと、やりきれない気持ちになります。
ここに、事故に遭われた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
同機には当時私の仕事仲間の父母と子供(長男と長女)が搭乗していて被害に遭いました。
その日の記憶は今でも鮮明に残っています。
昼に郊外の吉野家で家族みんなで牛丼を食べました。
食べ終わって駐車場で見上げた空が抜けるように青かったことと、
照りつける夏の日差しの暑さでこめかみから滴り落ちる汗を今でもハッキリと感じられます。
それから、私たち家族は山梨県のツレの田舎に車で帰省しました。
その日の夜は田舎の親戚一同が集まり宴会となり、宴会の最中に事故の連絡を受けました。
連絡を受けた瞬間にかなり気が動転して、車で大阪にとんぼ返りしようとした私を皆が止めてくれたことを憶えています。
彼とは仕事だけでなく、家族ぐるみで遊びに行ったりしていたので、
事故に遭った彼の子供たちやご両親とは顔なじみでした。
私は結局電車で大阪に戻り、数日後に現地にいる彼のところに出向くことになりました。
彼と協力して遺体を探すためです。現地には約3週間滞在しました。現地でのことは今でも書く気になれません。
彼に聞いたところ、
彼と彼の家族(彼の奥さんと3人の子供、父母、奥さんの妹)の計8人は東京ディズニーランドに遊びにいったとのこと。
彼は友人とのゴルフの約束があったので帰ることになったのですが、
彼の父母(おじいちゃんとおばあちゃん)が折角来たのだから、もう一日孫たちを楽しませてあげたいとのことで、
おじいちゃんとおばあちゃんと彼の上の二人の子供だけが帰るのを一日遅らせることになりました。
彼の奥さんは乳飲み子(一番下の子)を抱えていたので、彼と一緒に帰ることになり、
奥さんの妹さんを含め4人は一日先に大阪に帰り、難を逃れました。
孫たちに少しでも楽しませたいというおじいちゃんとおばあちゃんの心を思うと、やりきれない気持ちになります。
ここに、事故に遭われた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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