- Date: Tue 15 01 2013
- Category: ボードゲームのお話
- Tags: 世界のボードゲーム ボードゲーム boardgame
- Community: テーマ "ボードゲームのお話" ジャンル "趣味・実用"
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親族一同新年会
先週の土曜日は、ツレの親族が我が家に全員集合して恒例の新年会。
お酒が入ってツレの親父さんと、ひとしきり木製カード立ての作り方について論議。
幅3mmで深さを10mm以上彫るにはトリマーではチョットなんてことを長々と…。
そばから親戚の一人が「そんなん作るの簡単やと思うけど…」と口をはさむが、
と言いつつも、そんなに簡単なら具体的に作り方の提案があって然るべきであるが具体的な話は無い。
実際に丸ノコやトリマーなんて使ったことが無いのに、どこかの工場で見聞きしてきたようなことを話すタイプ。
普通の家で木工フライスやテーブルソーを使ったような加工ができるはずないって、無視して二人で話を続ける。
ツレの親父さんは、私たちが結婚当初に住んでいた長屋にやってきて、2部屋の狭い住居の裏側に、
ノコとカンナで縁側のような出っ張りを作ってくれた人、口先でなく実際に手を動かす現場タイプ。
そんな話を続けているうちに新年会の喧噪の中で、久しぶりに不思議な思考にとらわれた。
その不思議な思考というのはホントにショウモナイことなのですが、たまに頭の中に浮かんできます。
どんなことかと言うと:
地球が生まれて46億年ぐらい経過?。ビッグバンは137億年前?。そして時を刻み始めたのはもっと前?。
そんなすごい時が経過して、たった今1秒が経過していて、そして次の1秒が経過して行く、…。
膨大な時の流れの中で、瞬きにも満たない私の生きている時間が今経過している。
これからも、何十億年、いや何百億年、いや何千億年、いや無限に時は刻まれて行くに違いない。
前には無限のような長い過去があって、後ろには無限の未来があるのに今はというと私が生きている今。
無限の過去の後に来た今の1秒間ってナンカ変だと思う。過去が無限だと永久に今がやってこないのでは…。
今の1秒間の後ろに無限の未来が続いている。前と後を無限の時に挟まれている「私が生きている今」って…。
前と後ろが無限なら、えっ、なんで今がやってこれたのだろう?
そんな膨大な時の流れの中の一コマにも満たない儚い今に、なんか意味があるのだろうか?
人はよく「自分が生きていることに何か意味があるのだろうか?」と言うけど、
私は現在の全ての事象に何か意味があるのだろうかと思ってしまう。
物質を形成している最少単位は、原子や陽子などと学校で私は教えてもらったわけですが、
今では、素粒子というものらしい。
その素粒子が、ランダムか、カオスか、それとも自然の摂理か、ナンカ知らないが、
ややこしい法則に基づいて天体や生き物を含む全てを形成していて、
その素粒子が集合や離散、誕生や死滅、融合や分離を継続的に繰り返しているだけのことじゃないのかな。
広い宇宙では、
今もいくつかの巨大な星雲同士が衝突して、おびただしい数の星が消滅・誕生を繰り返しているらしい。
人間が存在する天の川銀河が他の星雲と衝突するようなことになれば、天変地変どころではない。
地球上の生物の生き死になんて、取るに足らない些細な事として扱われることだろう。
星雲同士の衝突も、単に素粒子の集合や離散、誕生や死滅、融合や分離の一つの事象でしかないのだろうか。
そもそも素粒子を積み木みたいに積み重ねていったら、
人間が形成されて突然動き出し考えたりもし始めるというのが、錬金術のようにまやかしに思われる。
空間(構成物質は何なのか分からないのですが)と素粒子と物理現象から全てがなっているのであれば、
存在意義といった生っちょろい感情なんて入り込む余地が見当たらないのだが…
物理の法則から生みだされた素粒子で構成されるモノに、
悲しいとか嬉しいといった分けのわからない感情や思考とよばれるものが存在する不思議。
そして、最も不思議なことは様々な無限の狭間で私が生きている今が今なお進行しているということ。
無限のモノをどのように細分化しても、答えは無限のハズなのだが私の生きている今は無限ではない。
ただ、未来が無限に広がっていることだけは理解できる、時が永遠に続いていくということだけは。
だが、過去が有限であるということは理解に苦しむ。
なぜなら有限ならスタート点という特別な時が存在することになる。
そんな特別な時点があるなら、その以前はどうなっているかという疑問が湧いてくる。
過去もまた無限だと単純化してしまうと、時は決して無限長の過去を経過することができないはずだから、
時は無限の過去に捕らわれてしまって抜け出せず、永遠に今がやってこないということになる。
この思考が頭に浮かぶのは、いつもお酒を飲んでいる時でしらふの時ではない。
疑問だけが同道巡りをして、当たり前のことだけど答えに行きつくはずがない。
でも酔っ払っているから、そんなことどうでもいいってわけ。
この宇宙全体が遠い、遠~い未来の多次元立体ボードゲームだったら、さぞ面白いことだろう。
でも、多次元立体だったらボードゲームと呼ぶのはチョットおかしい、板はどう見ても二次元だから。
久しぶりにその夜は飲みすぎてしまった。ホントにショウモナイ話でごめんなさい。
お酒が入ってツレの親父さんと、ひとしきり木製カード立ての作り方について論議。
幅3mmで深さを10mm以上彫るにはトリマーではチョットなんてことを長々と…。
そばから親戚の一人が「そんなん作るの簡単やと思うけど…」と口をはさむが、
と言いつつも、そんなに簡単なら具体的に作り方の提案があって然るべきであるが具体的な話は無い。
実際に丸ノコやトリマーなんて使ったことが無いのに、どこかの工場で見聞きしてきたようなことを話すタイプ。
普通の家で木工フライスやテーブルソーを使ったような加工ができるはずないって、無視して二人で話を続ける。
ツレの親父さんは、私たちが結婚当初に住んでいた長屋にやってきて、2部屋の狭い住居の裏側に、
ノコとカンナで縁側のような出っ張りを作ってくれた人、口先でなく実際に手を動かす現場タイプ。
そんな話を続けているうちに新年会の喧噪の中で、久しぶりに不思議な思考にとらわれた。
その不思議な思考というのはホントにショウモナイことなのですが、たまに頭の中に浮かんできます。
どんなことかと言うと:
地球が生まれて46億年ぐらい経過?。ビッグバンは137億年前?。そして時を刻み始めたのはもっと前?。
そんなすごい時が経過して、たった今1秒が経過していて、そして次の1秒が経過して行く、…。
膨大な時の流れの中で、瞬きにも満たない私の生きている時間が今経過している。
これからも、何十億年、いや何百億年、いや何千億年、いや無限に時は刻まれて行くに違いない。
前には無限のような長い過去があって、後ろには無限の未来があるのに今はというと私が生きている今。
無限の過去の後に来た今の1秒間ってナンカ変だと思う。過去が無限だと永久に今がやってこないのでは…。
今の1秒間の後ろに無限の未来が続いている。前と後を無限の時に挟まれている「私が生きている今」って…。
前と後ろが無限なら、えっ、なんで今がやってこれたのだろう?
そんな膨大な時の流れの中の一コマにも満たない儚い今に、なんか意味があるのだろうか?
人はよく「自分が生きていることに何か意味があるのだろうか?」と言うけど、
私は現在の全ての事象に何か意味があるのだろうかと思ってしまう。
物質を形成している最少単位は、原子や陽子などと学校で私は教えてもらったわけですが、
今では、素粒子というものらしい。
その素粒子が、ランダムか、カオスか、それとも自然の摂理か、ナンカ知らないが、
ややこしい法則に基づいて天体や生き物を含む全てを形成していて、
その素粒子が集合や離散、誕生や死滅、融合や分離を継続的に繰り返しているだけのことじゃないのかな。
広い宇宙では、
今もいくつかの巨大な星雲同士が衝突して、おびただしい数の星が消滅・誕生を繰り返しているらしい。
人間が存在する天の川銀河が他の星雲と衝突するようなことになれば、天変地変どころではない。
地球上の生物の生き死になんて、取るに足らない些細な事として扱われることだろう。
星雲同士の衝突も、単に素粒子の集合や離散、誕生や死滅、融合や分離の一つの事象でしかないのだろうか。
そもそも素粒子を積み木みたいに積み重ねていったら、
人間が形成されて突然動き出し考えたりもし始めるというのが、錬金術のようにまやかしに思われる。
空間(構成物質は何なのか分からないのですが)と素粒子と物理現象から全てがなっているのであれば、
存在意義といった生っちょろい感情なんて入り込む余地が見当たらないのだが…
物理の法則から生みだされた素粒子で構成されるモノに、
悲しいとか嬉しいといった分けのわからない感情や思考とよばれるものが存在する不思議。
そして、最も不思議なことは様々な無限の狭間で私が生きている今が今なお進行しているということ。
無限のモノをどのように細分化しても、答えは無限のハズなのだが私の生きている今は無限ではない。
ただ、未来が無限に広がっていることだけは理解できる、時が永遠に続いていくということだけは。
だが、過去が有限であるということは理解に苦しむ。
なぜなら有限ならスタート点という特別な時が存在することになる。
そんな特別な時点があるなら、その以前はどうなっているかという疑問が湧いてくる。
過去もまた無限だと単純化してしまうと、時は決して無限長の過去を経過することができないはずだから、
時は無限の過去に捕らわれてしまって抜け出せず、永遠に今がやってこないということになる。
この思考が頭に浮かぶのは、いつもお酒を飲んでいる時でしらふの時ではない。
疑問だけが同道巡りをして、当たり前のことだけど答えに行きつくはずがない。
でも酔っ払っているから、そんなことどうでもいいってわけ。
この宇宙全体が遠い、遠~い未来の多次元立体ボードゲームだったら、さぞ面白いことだろう。
でも、多次元立体だったらボードゲームと呼ぶのはチョットおかしい、板はどう見ても二次元だから。
久しぶりにその夜は飲みすぎてしまった。ホントにショウモナイ話でごめんなさい。
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