集団的自衛権とは、
「他国が武力をもって攻撃を受けた時に、直接に攻撃を受けていない国が協力して共同で防衛を行う権利」です。
直接攻撃を受けている他国を援助し共同して武力攻撃に対処する、すなわち他の国に武力行使することです。
なお、
他国の紛争に介入した国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の立場を捨てなければなりません。
このように憲法を改正して集団的自衛権を容認するということは、
国際紛争において他国に武力行使すること、すなわち戦争することを認めることになります。
今回の憲法改正における政治家たちの判断は、
消費税増税の目的が「増税分を社会福祉分野に充てる」などといった裏切り程度では済まされない、
日本の歴史において極めて重大な国の舵取りとなります。
日本の終戦日である1945年8月15日から、現在までわずか70年足らず。
長い長い日本の歴史において真の平和と平等の恩恵を受けたのは、唯一戦後生まれの私たち世代だけなのです。
日本国民は
「もうこれからは、戦争なんて起こりっこない。」なんて、決して平和ボケするようなことがあってはなりません。
先日、「草原の椅子」という映画を観ました。
この映画には、世界最後の桃源郷といわれるパキスタンのフンザに住んでいる、
人生を左右する瞳の中の星を見ることができる羊飼いの老人が登場します。
この老人が人生に悩みを抱いている日本人たちに向かって、「正しいやり方をくり返しなさい」と諭します。
日本国は国際紛争を解決する手段として武力による威嚇ならびに行使を永久に放棄するという平和憲法の理念を、
「この正しいやり方を」これからも世界に先駆けて「くりかえし継続していかなければなりません」。
幸いにも日本国内では、自治体間や政党間、宗教団体間での武力による紛争は排除され平和が維持されています。
人間(日本人)の次なるステップは、この日本の平和を世界規模までスケールアップすることにあると思うのです。
集団的自衛権などといった後ろ向きな政策を論議するのではなく、
広く世界平和への新しい世界体制についての「船中八策」を起草できるような日本人の政治家の登場を切望します。
ごきげんよう、さようなら。
「他国が武力をもって攻撃を受けた時に、直接に攻撃を受けていない国が協力して共同で防衛を行う権利」です。
直接攻撃を受けている他国を援助し共同して武力攻撃に対処する、すなわち他の国に武力行使することです。
なお、
他国の紛争に介入した国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の立場を捨てなければなりません。
このように憲法を改正して集団的自衛権を容認するということは、
国際紛争において他国に武力行使すること、すなわち戦争することを認めることになります。
今回の憲法改正における政治家たちの判断は、
消費税増税の目的が「増税分を社会福祉分野に充てる」などといった裏切り程度では済まされない、
日本の歴史において極めて重大な国の舵取りとなります。
日本の終戦日である1945年8月15日から、現在までわずか70年足らず。
長い長い日本の歴史において真の平和と平等の恩恵を受けたのは、唯一戦後生まれの私たち世代だけなのです。
日本国民は
「もうこれからは、戦争なんて起こりっこない。」なんて、決して平和ボケするようなことがあってはなりません。
先日、「草原の椅子」という映画を観ました。
この映画には、世界最後の桃源郷といわれるパキスタンのフンザに住んでいる、
人生を左右する瞳の中の星を見ることができる羊飼いの老人が登場します。
この老人が人生に悩みを抱いている日本人たちに向かって、「正しいやり方をくり返しなさい」と諭します。
日本国は国際紛争を解決する手段として武力による威嚇ならびに行使を永久に放棄するという平和憲法の理念を、
「この正しいやり方を」これからも世界に先駆けて「くりかえし継続していかなければなりません」。
幸いにも日本国内では、自治体間や政党間、宗教団体間での武力による紛争は排除され平和が維持されています。
人間(日本人)の次なるステップは、この日本の平和を世界規模までスケールアップすることにあると思うのです。
集団的自衛権などといった後ろ向きな政策を論議するのではなく、
広く世界平和への新しい世界体制についての「船中八策」を起草できるような日本人の政治家の登場を切望します。
ごきげんよう、さようなら。
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今、続けなかったら、「この平和憲法ではやっぱり、通用しなかった。ダメだった。」と世界に発信しているのと同じですよね。
そうではなくて、「この憲法で平和が何十年と保たれている」ことを世界に伝えなくてはならないのですね。
日本人としての責務だと思います。